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2023/03/13 09:37

自身が本格的に写真を始めたころ。
カメラは一眼レフ一台と35mmレンズ一本のみ。

カメラ雑誌には様々なレンズの広告があふれかえっていたが当時の自身には高嶺の花。
あこがれつつも「絶対にかなわない夢は遠い海外の町と同じくらい」に手が届かない。

そこで、カメラ入門書に示唆される「レンズ別画角の特徴」を穴が空くほど読み、
視野が広すぎると感じれば一歩、二歩前に出て。
狭すぎると感じれば、後ろに下がり。
色々なことを試行錯誤しながら被写体を切り取っていた。

当時、ズームレンズは発売されていたが実用には疑問が残る描写力であり、
撮影場所が限られる報道系の職業カメラマンが徹頭徹尾テスト撮影を重ね特性を
熟知して割り切って使用する程度であった。

アルバイトに精を出し、少し財布が暖まり始めたころ、二本目に選択したレンズは21mm。
現代の広角レンズはフランスのアンジェニー社が開発した「レトロフォーカス仕様」であるが選んだレンズは対象型で後面構成部分が突出しているので一眼レフに取り付ける際は「ミラーアップ」が必要になる。撮影視野は外付けのファインダーで確認するが自身は視野角を手中に収める訓練を重ね、被写界深度の利点を生かし「ノーファインダー」で街角を切り取っていた。
レンズはもともとレンジファインダー用レンズを一眼レフ向けに転用し名声を得た製品であるので、超広角でありながら「像面がフラットで尚且つ歪まない」銘レンズである。
このレンズを用いた作品は一流写真家たちが数々の名作を生みだした発表していた。
我々の年代にとって思いで深いのは東京下町「三ノ輪の下駄屋の倅さんが」自費出版で
発売した愛妻との新婚旅行を記録した作品である。

超広角レンズを携えてのストリートフォト。
当時は日本中の山を彷徨ってもいたので三脚に固定して構図を考慮した山岳写真。
手前味噌ながらそれなりの作品を発表していた。

気楽な学生時代を終え、宮仕えの身となりつつも通勤カバンにはいつのカメラを忍ばせていた。社会人という多忙な日々を送りながらも学生時代から「伴侶」と決めていた女性と生活を営み始める。
やがて、二人だけの生活に「新しい命を天から授かる」
昔ながらの友人には「親バカ」と散々揶揄されたがまさに「天使が舞い降りたのである」

自身も30代。
超広角レンズの視野は広すぎるとおもい、標準レンズでは狭すぎると感じていた。
そこで再登場したのは古の「35mm」である。
数年後、二人目の「天使」も授かり彼女たちの日常、「伴侶」が母親として成長する過程を記録していった。

このレンズは使い過ぎた結果「ヘリコイドが抜けスカスカになり」数度のオーバーホールを繰り返した
家族の記録には35㎜レンズ一本では不自由もあったので、当時は被写体の再現に十分実用として耐えるズームレンズも積極的に活用しハレの日はもちろん、何気ない日常を記録した。わが、荒屋のリビングには数十冊のアルバムが鎮座している。

宮仕えも長くなり娘たちも独立を迎えるころ、カメラは一眼レスからレンジファインダーが主体となる。通勤カバンにカメラを忍ばせる生活は相変わらずである。
レンジファインダー機では一眼レフで慣れ親しんだズームレンズを使えるわけもなく、
必然一本のレンズを付けっぱなしにするスタイルが定着する。
さて、この一本の選択である。
「鮒に始まり鮒に終わる」のが釣りの王道であれば、チョイスしたレンズは
「標準に始まり標準に終わる」の名言通り「50㎜」である。
機材庫を覗けば長年の間にたまった、、、、のように50㎜にもメーカー・明るさ別に様々。
ユニバーサルマウントの利点を生かし舶来の高級品から、世界で一番明るいといわれた品を含めた国産メーカー各種、共産圏の一本までその日の気分でチョイスしていた。

現役を引退した今現在、愛用する一台は、昭和一桁台に制作されその数年後当時の最新機構にメーカーで改造されたカメラと、決して明るいとは言えないレンズとなった。
その旧く小型な寫眞気を「お散歩カメラ」よろしく首から下げ「コトリ々」とシャッターを切っている。

人生と画角。
随分とたいそうな題目付けたと少々気恥しいのだが。
振り返れば、
20代の青年期は広角の21㎜。
30代から40代は35㎜を中心にズームレンズを駆使し。
人生の折り返し点を過ぎた今は50㎜。

その時々の「ものを見つめる眼」と共に画角も変化してきた。