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2023/03/31 06:24

永井荷風。

明治から大正、昭和にかけて数々の名作を残した作家である。

彼の小説、エッセイを垣間見てゆくと、当時の東京の姿がありありと浮かびあがってくる。

 

荷風といえば、

一般的には、芸妓、踊り子、カフェーの女中。

数多くの浮名を流したプレイボーイという印象が否めない。

が、しかしながら、作家として活動する以前はエリートであり、海外留学も経験している。

簡潔に申し上あげれば「育ちの良い、いいとこのお坊ちゃん」である。

であるからこそ、女性扱いもそつなくスマートにこなしていたのかもしれない。

 

小生は、彼の小説にもひかれるが、小説作品の主題を求め当時の東京を彷徨い著された、

「断腸亭日常」「墨東奇談」などは幾度も読み返した。

 

荷風の小説やエッセイに描かれる舞台が東京の向島、浅草、今では高級店が並ぶ銀座であり、時に市谷なども舞台にはなるがいずれの町も親しみ深い街であったことにも起因する。

 

荷風が晩年に過ごした。

千葉県市川市。

上野から成田に向かう京成本線、八幡駅。

ホーム端、踏切わきにあった料理屋の「大黒屋」。

その店の名物であるカツ丼が荷風最後の食事として有名である。

彼は「カツ丼・上新香・日本酒一合」を好んでいたとの伝説がある。

残念ながら「大黒屋」は数年前に閉店したが、小生の剛友が近所に育ったこともあり

荷風とは趣を異にするが、

「葛飾柴又、帝釈天で産湯を遣い」の柴又帝釈天から、八幡まで

写真機を提げつつ散歩を重ねた。

 

作品には滅多に登場はしないが、

荷風の写真好き本格的なものであったようだ。

断腸亭日常では、

昭和111016日の項に

 

昭和11年十月廿六日。午後より時々驟雨あり。草稿を添削す。夜、久辺留に往く。

安藤氏に託して写真機を購ふ、金壱百四円也」

 

この時荷風が求めた写真機は舶来独逸製二眼レフ”Rollei Cord“であった。

国家公務員の初任給が75円程度の時代の104円。

現代においては中位機種から上位機種と同等の価格であることを換算すれば、

カメラの価格はあまり変化していないと思える。

 

しかしながら翌昭和122月。荷風は新しいカメラを購入している。

断腸亭日常には

「二月一日。隂。午後丸の内に用事あり。又空庵子を築地に訪ふ。名塩君周旋のカメラを購ふ参百拾円也 晡下玉の井に徃き一部伊藤方を訪ふ。帰途雨雪こもごも至る。」

 

このカメラは当時の最新機種“Rollei Standard”であった。

 

前年に購入した“Roolei Cord”は搭載されているレンズがツアイストリオターF4,5.

この時購入の“Rollei Standard”の搭載レンズはツアイステッサーF3.5であり、

ワンランクアップしている。

 

荷風はこの年1月から自身で現像を始めている。

その過程でより明るくクリアーに対象を写し取るレンズ。

より操作性に長けた機種を望んだのであろう。

 

カメラ・写真を趣味にしていると、荷風の思いが、わが身と同じように理解できるのは

小生だけではないであろう。